※この記事は2025年5月に神戸新聞へ掲載されたものです。
年齢を重ねると、もの忘れや言葉が出にくくなるといった変化を感じることがあります。こうした認知機能の低下は、多くの場合、加齢による自然な変化ですが、進行して日常生活に支障が出ると「認知症」と診断されることがあります。
認知症の多くは「神経変性疾患」に分類されます。これは、脳や脊髄の神経細胞が徐々に機能を失い、最終的に死滅する進行性の病気の総称です。アルツハイマー病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、前頭側頭型認知症などが含まれ、それぞれ異なる部位や症状を示しますが、共通するのは神経細胞の変性と喪失です。
中でもアルツハイマー病は認知症の中で最も一般的で、記憶障害や見当識障害から始まり、次第に生活全般に影響を及ぼします。現在、日本では65歳以上の約7人に1人が認知症であるとされ、高齢化の進行に伴い、患者数は今後さらに増えると予測されています。
こうした認知機能の低下の背景には、神経細胞間の情報伝達の不調があります。神経細胞は、神経伝達物質という化学物質を使って信号をやりとりしています。その中でも「アセチルコリン」は、記憶や注意、学習などに重要な役割を果たしています。アセチルコリンは加齢にともなって減少しやすく、特にアルツハイマー病ではアセチルコリンを産生する神経細胞の減少が認知機能の低下と密接に関係していると考えられています。
このような神経変性の進行を緩和する可能性がある成分として、近年注目されているのが、DHA(ドコサヘキサエン酸)です。DHAは青魚に多く含まれる不飽和脂肪酸で、脳の神経細胞膜の主要構成成分のひとつです。私たちは、DHAが神経細胞を保護し、加齢によるアセチルコリンの減少や情報伝達の衰えを和らげる可能性があると考えています。
私たちの研究室では、神経伝達の仕組みを分子レベルで明らかにすることを目指し、神経細胞間の情報交換が行われる「シナプス」に着目しています。特に、神経伝達物質がどのように放出・受容され、加齢や疾患によってどのように変化するかを調べています。

また、質量顕微鏡という先端技術を駆使して生体分子のイメージング、つまり、「見える化」にも取り組んでいます。従来困難だったアセチルコリンやDHAの局所的な分布も捉えることができ、神経変性の分子メカニズムの理解へとつながることが期待されます。

DHAのような栄養素と老化、神経伝達の関係を科学的に明らかにすることは、予防医学や生活習慣の改善にもつながります。私たちの基礎研究が認知症の理解や治療、そして予防につながる重要な一歩となることを願い、高齢になっても健やかに暮らせる社会の実現を目指し、関西学院大の学生や学内外の研究者とともに日々探究を重ねています。