※この記事は2022年9月に神戸新聞へ掲載されたものです。
ベンゼン環(いわゆる亀の甲)同士がつながった構造を持つ分子は、液晶や医薬品などに多く見られ、私たちの生活に欠かせないものです。かつてはこのベンゼン環同士の結合を作るのは大変難しいことでしたが、パラジウム(Pd)という金属を用いる「クロスカップリング反応」が開発されたことで、簡単に作ることができるようになりました。
さらにここでのパラジウムは、自身は変化せず反応を促進する「触媒」として働くので、少量しか必要となりません。この反応の重要性は、開発した鈴木章氏や根岸英一氏が2010年にノーベル化学賞を受賞したことからも明らかです。
昨今、化学物質による生態系への悪影響や枯渇性資源の消費が、世界的な問題となっています。クロスカップリング反応は、スマートフォンや液晶テレビが普及している今の社会を支える重要な反応ですが、残念ながらパラジウムは毒性を持ち、金や白金に代表されるレアメタルの一つに指定されるほどの貴重な資源です。このまま消費し続けるわけにはいかないのです。
このような背景のもと、私はこれまで、クロスカップリング反応におけるパラジウムの代わりとなる触媒を探してきました。そしてついに、毒性がなくどこにでも存在する「電子」が触媒として働くことを見つけました。私は、この反応を「電子触媒クロスカップリング反応」と名付けて研究に取り組んでいます。
電子は原子を構成する要素の一つです。したがって、電子は原子が存在する限り枯渇することはありません。さらに電子は、パラジウムの20万分の1程度の重さしかない極めて小さなものです。普遍に存在し、化学の分野での最小単位である電子が、現代社会の基盤ともいえるクロスカップリング反応の触媒として働く現象は、資源不足に陥り生活水準を下げざるを得ない私たちの未来を変える「希望」であると考えています。