戦時中に失われた
アイアンワークを復元へ。
建築学部 建築学科 4年生
※取材当時
安澤 広晟 さん
関学の校舎の多くは、W.M.ヴォーリズの設計によるものと広く知られていますが、そのうちの一つ、上ケ原キャンパスの時計台には、かつて内部の階段手すり23ヵ所に美しいアイアンワーク(鉄の装飾)が施されていました。しかし戦時中の金属供出によってアイアンワークは失われ、手すりには空洞だけが残された状態となっていたのです。2024年春、このアイアンワークの復元をめざすプロジェクトがスタート。僕も建築学部の仲間と一緒に参加し、アイアンワークの木製模型の制作に取り組みました。そしていよいよ、この復元模型が完成。2024年9月28日〜12月14日に開催されている、大学博物館開館10周年記念展覧会の出展資料として展示されています。
「建築学生はPCでひたすら図面を描くということが多く、実際に物を作る機会にはなかなか恵まれません。現場に足を運んで一分の一のスケールの模型を作るという体験は、とても新鮮でした」。
100年前の職人の技術の素晴らしさを、
自ら手を動かしながら考察。
戦争による文化の損失が
いかに大きかったかも実感できた。
プロジェクトの最終目標はアイアンワークの復元ですが、まずその第一歩として木製の復元模型をつくることになり、建築学部ヴォーリズ研究センターの研究員である石榑督和先生が、大学博物館からこの模型制作を任されました。そして石榑先生の研究室で学ぶ僕たちも、先生に声をかけてもらい、プロジェクトに参加できることになったのです。
図面や写真などの資料が少ないなか、想像や仮説を積み重ねながら模型を作っていくという作業は、ものすごく面白かったです。「枠にでこぼこが多いけれど、どうやって綺麗に嵌めたんだろう?」「モルタルが入っているみたいだ」「金属を嵌めた上に穴埋めをしたのかな?」と、現場を見ながら当時の工程をいろいろ推察して…。100年近く昔の職人の技術を自分たちが甦らせるような感覚で、めちゃくちゃ楽しかったですね。そして戦時中の金属供出についても、改めて考えさせられました。そういう出来事があったとは学校の授業で教わりましたが、このプロジェクトでの体験を通して「自分の好きな文化が失われたんだ」と初めて実感として理解し、「戦争による損失ってすごく大きいものだったんじゃないか」と、今は強く感じています。
幼少期の思い出にも刻まれている、
ヴォーリズ建築が僕の原点。
同じように人々の拠り所として
残り続ける建物を、いつかこの手で。
僕の曽祖父は、滋賀県の豊郷小学校の校長でした。その縁で、僕はヴォーリズが設計したこの小学校の旧校舎を幼い頃から訪れ、ずっとヴォーリズ建築を身近に感じながら育ったのです。石榑先生にそんな話をしたことはなかったのですが、にも関わらず先生から今回のプロジェクトのお話をいただけた時は「何かが繋がっているんだな」と感じました。
アイアンワークの模型が完成し、時計台の手すりの枠に嵌めた時の達成感は大きかったです。でもそれ以上に印象的だったのは、展示会が始まる前から、春学期の卒業生の方々が時計台のアイアンワークの前で記念写真を撮られていたこと。自分たちの作ったものが、誰かの思い出の場所として記録されていく、っていうのに、何だか感動して...。
大学では大好きなヴォーリズ建築や建築史が学べました。次はニューヨークの街をテーマとした研究に、大学院で取り組みたい。碁盤目状の整然とした街並みでありながら雑多な文化が入り混じるニューヨークに、すごく魅力を感じるんです。また、今は植栽のアルバイトをしていますが、そうして建築以外の分野にも広く目を向け、それらと建築との融合でイノベーションを起こしたい、という想いもあります。そして自分の作ったものが、50年、100年と残り、人々の拠り所となれば...。そこをめざして、まだまだ学び続けたいですね。